子どもはかわいい!もうなんでもしてあげたい!
という人もたくさんいると思いますが、どこまでしていいのか?は難しいですよね。
できればいっぱい甘やかしてあげたいところですが、それでいいのでしょうか?
パパしるべ読者さんから今回もご質問を頂きましたので、そんな悩ましい距離感についてアドラー式子育ての熊野英一さんに教えていただきました!
甘やかす父親は”母性”が強い..!?
我が家の一人娘(5歳)が赤ちゃんの頃は、まさに目の中に入れても痛くない!とばかりに夫婦共々、溺愛モード全開だったんです。
ところが、最近、夫婦で子育ての価値観が異なり、険悪なムードになることが増えてきました。
自分自身、男兄弟の中で育ったこともあり、小さな女の子はいつまでも護ってあげたい存在。
何かあってからでは遅いので、在宅勤務が増えたのをこれ幸いと、幼稚園の送迎もなるべく担当して、父親としての役割を果たそうとしています。
一方、そんな私の関わり方を見て、妻は「やりすぎ!甘やかせないで!あとが大変だから」と文句を言ってくる妻。
私から見ると「女性なのに、母性のかけらもないのか!」などと思ってしまうのですが、もちろん口に出したら瞬殺されるので、心の中に止めている状態です。
どうしたら良いでしょうか?
子どもの自立を望む一方で、その子の自立の“足をひっぱる”親がいます。
このような親は、自分の良かれと思っての言動が実は子どもの勇気をくじき、子どもの自立の“足をひっぱっている”ことに無自覚です。
ここでは、私たち親が子育てをする上で自然に発揮している「母性」や「父性」が、時として子どもの自立の“足をひっぱる”要因にもなりえるというカラクリについて解説します。
「母性」の本質とは「保護」です。
子育ての初期において胎児や新生児は「かよわい個体」ですから、子どものこの時点での健全な成長にとって「母性の発露による保護」が最も必要とされるのは、生物学的に当然のことと言えるでしょう。
一方で、子どもはこの世に産まれ出たその瞬間から、自立に向けた旅をスタートしています。
いずれは親の保護から卒業し、一人で生きていくことができなければ「種の保存・種の繁栄」は望めないわけですから、これもまた生物学的に当然のことでしょう。
ここに「母性を、どのような場面で、どの程度発揮すべきか?」というバランスの問題が発生します。
ところが、私たち親は、善かれと思って母性をいかんなく発揮しようとすることがあるので注意が必要でしょう。
ご質問のパパは、「母性を出しすぎている」可能性があります。
え?男なのに?そうです。
実は、男なのに母性満載、出しまくり状態のパパ、多いのでご注意を。
「母性の必要性」の方にばかり注目してしまうのは、とても厳しい言い方に聞こえるかもしれませんが「子どもの可能性を信じられない。無条件で子どもを信頼することができない。」ということの裏返しであるとも言えます。
「子どもは、か弱い存在だ。私の保護をいつも必要としている。」という信念で子どもに対峙しているというわけです。
ご自身が「子どもに・・・してあげる」とか「親は子どもに・・・・すべき」というような言い方を多用している方は、耳が痛いかもしれませんが、冷静にこの後を読み進めてください。
母性、父性を発揮する際の注意点
この「母性の過剰な発揮=過保護・過干渉」は母親にのみ見られる現象ではありません。
むしろ、父親のほうが子どもを過度に「か弱い存在」だと決めつけ、いつまでも子どもを赤ちゃん扱いし、あれこれと手や口を出しているというケースもよくあります。
「母性(保護)」を抑制する代わりに、子どもの自立を最終ゴールと設定する子育てにおいて日々必要性が増していくのが「父性」です。
「父性」の本質とは「分離」です。
ここで、自立の定義を明らかにしておきます。
自立とは
- 保護者(通常は親)の保護から精神的に独立して
- 自分のことを信頼しながら
- 社会(他者)との適切で建設的な関係を構築して生きていくこと
この自立の定義を改めて読み返してみれば、私たち親が「母性(保護)の抑制と、父性(分離)の促進」をひと固まりのセットとして、意識的にそのバランスを調節していくことが、子どもの自立にとっていかに重要であるかがわかるでしょう。
ここで一つ注意をして欲しいことがあります。
それは、親子の間で相互尊敬の関係性が希薄なまま父性を発揮する(=分離を促進する)ことが、子どもの勇気をくじき、むしろ自立の“足をひっぱる”ことにつながるということです。
「子どもを尊敬する」と聞くとなんだか変な感じがしますか?
アドラー心理学でいう「尊敬」に相当する英語は「respect(リスペクト)」です。
「リスペクトする人」と「リスペクトされる人」との間の上下関係が考慮されることはなく、常に対等の関係が前提とされるのです。
“良かれと思って”親がやってしまうことへの逆効果
子どもが成長するにつれて、厳しくしつけようとするタイプの親がいます。
「しつけ」をまるで「ペットの調教」のように「劣った存在の者に対して、厳しく、怖く接して何かを憶えさせること」と思い込んでいるようです。
また、そこに「男の子だから・女の子だから」といった性別をベースにした親の価値観や、「ウチの子なんだから、○○できなくては」といった家系・家柄などの社会的ポジションを意識した押しつけをする親も多いと思います。
もちろん、こうした親は「良かれと思って」一生懸命に子どもを「(親が信じる)理想の人」に近づけるべく涙ぐましい努力をしているのです。
しかしながら、そこには、子どもに対する「尊敬/リスペクト」の気持ちが欠けていると言わざるを得ないでしょう。
子どものありのままの姿を認め、その子は「自分の力でその子らしく成長発展していく無限の可能性がある」ことを信じて見守る。
これこそが本質的な父性(分離)の発露です。
親からのこうした関わり方を経験した子どもは、必ず、親に対しても(また、他者に対しても)敬意をもって接することを自然に身につけます。
ヨコの関係を前提とした「相互尊敬」の親子関係は、このようにして子どもが自立した一人前の大人に成長していく過程でプラスに働くことがおわかりでしょう。
こうした敬意を払われることが少なく「親の言う通りにすることが良い子の証」「親の理想を実現するのが子どもの役割」といった価値観をベースに育てられた子どもは、ありのままの自分を受け入れる勇気を持つことに困難を感じるようになります。
つまり、勇気がくじかれた状態がだんだんと固定化していく、ということです。
そして、親はそんなことは望んでいないかもしれませんが、いつのまにか親子関係がタテの「支配 — 依存」関係になっていきます。
「支配する親に、いつも依存する自分」という構図に慣れ親しんでしまった子どもに、自立を望んでもそれは無茶な話というものです。
なお、父性(分離)の発揮は、父親のみが担うべきもの、あるいは父親しか担えないもの、ではありません。
当然のことながら、母親が「子どもを信じて見守る」ということを通して父性を発揮することも求められます。
つまり、親であれば、性別に関係なく「母性(保護)を意識的に抑制し、同時に、父性(分離)を意識的に促進する」ことをひとつのセットとして取り組まなくてはならないのです。
熊野さん、ありがとうございました!
ポイント
- 母性は父親にもあり、父性は母親にもある
- 母性(保護)と父性(分離)のバランスが自立を促す
- 子どもがかわいくて、良かれと思ってついつい手を出しすぎてしまうという人もいると思います。でも、それって子どものためになっているのでしょうか?アドラー式子育ての観点から見る子どもとの向き合い方。子どもに対する尊敬/リスペクトがないと勇気くじきにつながってしまう
参考になりましたでしょうか?
熊野さんのアドラー式子育ての講座では、親子、夫婦だけでなく、様々なシチュエーションで役立つコミュニケーションのコツを学ぶことができます。
気になった方はぜひチェックしてみてください!
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